ある日、エリクソンの自宅兼診療所に、車椅子に乗せられた男性が妻に連れられてやってきました。その男性は、腕と脚を椅子に固定されていました。
男性は、11年間も激痛を伴う関節炎と麻痺に苦しみ続け、その人生を深く呪い、激しい怒りを抱いていました。動かせたのは、頭と片方の手の親指だけでした。
妻がいなければ生きてすらいけない状態でした。
彼は、妻の介助を受けている間も、一日中自分の不幸な人生を呪い続けていました。
そんな彼にエリクソンがか言葉は簡単なものでした。エリクソンは彼に「運動不足だ」と言い、彼を叱責しました。
そして、エリクソンはこう言いました。「親指が動かせるのだから、それを積極的に動かさなければなりません。毎日、その親指を動かす練習をしながら時間を過ごすのです。」
男性は、エリクソンに対してけんか腰でこう言いました。「昼でも、夜でも、一週間でも、一か月でも、この親指を動かすくらいできるが、そんなことをしたって、なんの役にも立たないさ。」
男性は、自分の言い分が正しいことを証明してやろうと、毎日親指を動かし続けました。しかし、親指を動かしているうちに、人差し指も動くことに気が付きました。さらに練習を続けていると、ほかの指まで動かせるようになりました。
男性は夢中で身体を動かす練習を続けました。やがて彼は手首を動かせるようになり、そしてとうとう腕まで動かせるようになりました。
そして1年後、エリクソンは彼にペンキ塗りの仕事をするよう指示しました。男性は、エリクソンに対し、「あんたには常識というものがないようだ。これっぽっちしか動けない人間が、小屋のペンキ塗りなんてできるはずがない。」とののしるように言いました。それでもエリクソンは一歩も譲りませんでした。
男性は渋々ペンキ塗りを始めましたが、毎日少しずつ仕事のスピードが上がり、3週間で小屋のペンキ塗りを終えてしまいました。
続いて、トラック運転手の仕事が与えられました。彼はトラック組合に加入し、その後組合長に選出されました。
エリクソンの治療は続いていましたが、男性は、自分には大学教育が必要だと考え、大学にも通うようになりました。
関節炎の重たい症状はまだ残っていました。しかし、男性は、毎年雨季が来て関節が痛み始めたときに、3日から1週間ほど関節炎の療養のためにベッドに横になることを楽しみにしていました。その時間は、たまった本を読むのにちょうどよい時間でした。
残った関節炎は、彼に休暇を与えてくれるものとなったのです。
エリクソンは、自分が2回全身まひの状態になったときのことを教訓にして、この男性を治療したのですね。男性の怒りにまみれた心も利用しているところがエリクソンのすごいところです。